PHILOSOPHY #1

服を生き物として扱う。

現時点では未熟な私個人の直感と主観を先行させていますが、服やお店を通しての皆様との共振を経て練り上げられていく事でこの概念が洗練された文化と繊細な審美眼を携えるここ日本から発信され、いつの日か広く認識される日が来るのではないかと考えています。

私は自分が服屋として取り組む対象である服 ー美しい服ー が生きているという概念を信じ切っていますが、服は生き物なのか否かを客観的な思考によってもその可能性を紐解ける術に好奇心があります。 

例えば、花や木など植物は一般的にも生きているものとして認識されていると思います。では、大地や海や川や山は生きていると認識する事ができるのか否か。判断は個人の宗教観、神観、生死観、国籍や個人個人によっても異なるでしょう。では、『山から伐られた木』『木から切られた枝』『枝から切られた花』これらは生きているのでしょうか。あるいは切られた時点でそれらは死んだのでしょうか。大工や建築家の中にも、建築に用いる材料としての木を生きているものと認識している方は少なくは無いのではないでしょうか。動物は、言うまでもなく生きていますね。では動物の毛や革、昆虫から生まれた繊維、これらがまだ生きていると認識する事は困難でしょうか。

しかし糸を紡ぐ職人さんは動物の毛、植物の繊維、昆虫から生まれた繊維がまだ呼吸している事を知っています。生地を織る職人さんは生地がまだ呼吸している事を知っています。服を作る職人さんは服がまだ呼吸している事を知っています。呼吸している事がそのものが生きているかどうかの一つの基準になるのか否か。安易に端的に答えが出る問いではありませんが、この問題を考え続けていく事が、自分自身が服を選ぶ為に必要な土台の一つとなります。

過去に生まれた、美しく、匿名的で、シンプルな見た目の為に一見何の変哲もなくとも、作り手の精神が高度で、創意があり、工夫があり、受け手に驚きと感動を生み、緊張感を生み、時間の淘汰に耐え抜いている服。ほんの一握りの服が持つ生命感に私は魅せられています。服の生命感、あるいは生き物としての服について、一歩ずつその観測方法と伝え方を模索していきます。  

Wikipediaには『生物がどのように定義されるか』について以下のように記されていました。

以下引用

『生物を定義するのは難しい。普通の言葉では生物とは生きているものであり、生きているとは生命があることであり、といった言い換えしかできないからである。現在我々が生き物と見做して知り得ているものが、生き物全てである保証はない。生物が無生物から区別される特徴としては、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性維持能力、自己と外界との明確な隔離などが挙げられる。しかしこの区分は例えばウイルスやウイロイドのような、明らかに生物との関連性があるがこれらの特徴をすべて満たさない存在(対象)までを区分することが出来ない。このことから言っても、生物と無生物を完全に区分することは困難なことである。』

以上引用終わり。